ヘッダー画像
 屋外展示
ここでは、屋外に復元あるいは表示してある展示を紹介しています。

屋外展示
SB-10楼観の柱(一部復元)
楼観の柱
SB-3 祭殿の柱位置

屋外展示
方形区画の柵(一部の想像復元)
伊勢遺跡の祭域の中心部は、主殿(SB-1)をはさんで東西に副屋(SB-2)、祭殿(SB-3)、倉庫などが
対称的に配置されていたようです。
主殿と西側の建物群は発見されていますが、東側の建物群は後世の大きな川により破壊されていました。
これらの建物群を取り囲むように二重の柵列の跡が見つかっています。
その柵列の想像復元が遺構展示施設を囲んで一部復元されています。

屋外展示

柵 柵
復元柵(北側より) 復元柵(北西側より)
弧状の園路(直径220mの一部)
遺跡中央部の楼観近辺を中心とする直径約220mの円周上に祭殿群が等間隔で並んでいたようです。 (未発掘のものもあれば、発掘したけれども存在していなかったものもありますが・・・)
史跡公園はほぼ全面が芝生でおおわれていますが、祭殿群が並んでいた円周上に舗装した園路(プロムナード)を設けてあります。
ここに立って遺構展示施設の建物を眺めれば、その範囲が祭域の半分となり、伊勢遺跡の広さが実感できます。

弧状園路 弧状園路
弧状園路 弧状園路と円周上の祭殿


 史跡公園外の遺跡の現状
ここでは、史跡公園の外側にあった遺構の現状を紹介しています。
発掘された遺構のたどった経緯
伊勢遺跡発掘の詳細な経緯は、伊勢遺跡ホームページ「発掘の現状/主要な発掘の成果と年表」に書いています。
概要をおさらいしますと、
・平成2年に最初の発見となるSB−3の大きな柱穴を見つけています。この時は、建物の柱穴とは想定
 されず、変わった形の大きな土坑と考えられていました。実際には斜路を備えた柱穴です。
・平成4年にSB-1の建物全体の柱穴が見つかり大型建物跡と判明しましたが、この時点では、弥生
 時代の建物とは考え難く、奈良時代など古代の建物ではないかと考えられていました。
・平成4年〜7年に次々と大型建物が見つかり、下鈎遺跡でも大型建物が発見され、他の地域、池上曾根
 遺跡や唐古鍵遺跡でも大型掘立柱建物が発見されるに至って、やっと弥生時代後期の大型建物
 認められました。
・これらの発掘調査は、個人住宅建設、宅地造成、道路新設工事などの開発工事に伴う発掘調査であった
 ため、発掘調査の後には住居、倉庫、道路などになってしまいました。
・この頃には、歴史を書き換える重要な建物、遺構だと認識されるようになり、平成10年になって
 ようやく保存計画のための調査発掘が始まりました。
・その後の調査で、平成14年までに伊勢遺跡の大型建物の全貌が分かってきたのです。
 これから分かるように、平成2年〜14年と長い日数をかけて少しずつ建物の様相が分かってきたため、
 一気に全域を保存するような計画が盛り上がることは無かったのです。

地道な努力の成果として、平成24年になってようやく国史跡に指定されたのです。
その後、史跡公園計画がスタートして、令和5年末に開園にこぎつけました。
このような経過で、円周上の祭殿群は道路や住宅地の下に埋蔵保存されていますが、幸いなことに、方形区画部分は史跡公園としてお目見えしました。

発掘された遺構の現状
祭殿が発見された地域の現状を見て頂きます。地図の赤い矢印で示す方向から撮影した写真です。
芝生公園の柵の外側は住宅が立ち並んでいます。あるいは、道路整備で作られた広い車道となっています。
公園外の遺構

mae top tugi